siro  筑前 岩屋城跡(いわやじょう) 比高240m
場所福岡県太宰府市大字観世音寺 高橋紹運の墓
高橋紹運の墓
訪問日2022年11月4日(金)
備考 岩屋城の戦いで奮戦、敗れて自害した高橋紹運の城。




大野城跡探訪後、その足で岩屋城跡に寄った。

四王寺林道(車道)添いの入口からすぐに寄れて、お手ごろだ。
駐車場は無いが、入口前後に2ヶ所ほど路肩に停めれるスペースがある。

入口
ここが入口。
案内板
横に案内板。
岩屋城
すぐにここを右へ...
本丸
入口から2分足らずで本丸到着!
石碑
石碑。「嗚呼壯烈 岩屋城址」
岩屋城
大宰府市、大野城市、春日市方面を一望出来る。
右手の展望。
飛行機
上記、飛行機をズーム!
岩屋城
正面の展望。
大宰府政庁跡
上記、大宰府政庁跡をズーム!
修学旅行かな?
岩屋城
左手の展望。
展望図
展望図。
土塁
奥に土塁が見える。
岩屋山
土塁に登ると、ここが岩屋山山頂だ。
岩屋城
そこから本丸を見下ろす。
墓入口
戻って、車道を挟んで、
ここから「高橋紹運公墓」へ...

案内板があるが、
この時は気が付かなかった。(^^;)
モミジ
下ると、モミジのグラデーションがいい感じ!
高橋紹運の墓
どれくらい下るのかは分からなかったが、
2分で到着!
高橋紹運の墓
墓石は無いが、これが紹運の墓所なのでしょう。
侍従武官御墓造記念碑
端っこに「侍従武官御墓造記念碑」とある。

岩屋城の戦いで、島津軍に敗れ、
紹運と共に玉砕した城兵の事かな...
1554年、大友氏の武将、高橋鑑種の築城。大友氏筑前支配の拠点。(着工 1532年)

その後、高橋鑑種は大友宗麟に反旗し、城を逐われ、
大友家の宿老の子 吉弘鎮種が、高橋氏を継いで高橋鎮種と名乗り、城主となる。(後、法名 高橋紹運)

1586年、九州制覇を目指す島津氏に攻められ、籠城の末落城、高橋紹運は自害した。(岩屋城の戦い)
九州を平定するべく豊臣軍上陸をきっかけに島津軍は撤退、紹運の子 統虎が城を回復した。

1587年、秀吉による九州平定後、廃城となる。

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四王寺林道(車道)の路肩に車を停め、城跡も高橋紹運の墓もすぐだったが、麓から登山してくる人もいるよう。

展望良好で、広く気持ちのいい山頂なので、地元の山であれば是非登ってみたい山なのかな...





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 参考資料: 福岡県太宰府市公式ホームページ 岩屋城跡