siro  曽場ヶ城跡(そばがじょう)、比高355m
場所東広島市八本松町上曽場 西条盆地を一望
西条盆地を一望!
訪問日2011年12月4日(日)
備考鏡山城落城後、大内氏の安芸、備後の拠点となる。

郭図の表示




曽場ヶ城跡
東側の尾根筋からアプローチ。

尾根上には無数の岩が点在して、
防御の役割を果たしています。
曽場ヶ城跡
ここも...
三の丸跡
三の丸跡。
三の丸跡
三の丸近辺は多数の郭で形成されていますが、
山道を外れると藪だらけなのでパスします。
午の段
午の段。
曽場ヶ城跡
その上の段。
二の丸
もう一段登って二の丸を見上げる。
二の丸
二の丸跡。
二の丸
二の丸から西条盆地。
中央に鏡山城跡が見えます。
二の丸
二の丸から西尾根を見下ろす。
二の丸と尾根の間が軽く窪んでいます。
堀切でしょうか?
二の丸
それを横から見る。
二の丸
二の丸すぐ先に矢竹のトンネル。
本丸
トンネルを抜けると本丸跡。
石垣で形成されています。
本丸
本丸跡。
本丸
本丸から西条盆地。
本丸
逆の生城山城跡方面。
本丸
一旦二の丸方面側に下りて、左手に井戸跡。
本丸
本丸北側の切岸に石垣。
本丸
これも...
本丸
これも...
本丸
これも...
堀切
本丸西下に堀切。
堀切
すぐ横にもう1本。
堀切
1つコブを越えてもう1本。
堀切
更に...
曽場ヶ城跡
本丸跡と一ツ城跡の間にも岩が...
一ツ城跡
一ツ城跡。
曽場ヶ城山の最高峰です。

「一ツ城跡」名前の謂われは分かりませんが、
西の守りの出丸か? 東からの攻撃に対する詰城か?

大内氏側が守る際は詰城、尼子氏側が守る際は
出丸的な役割だったのでしょうか。
一ツ城跡
奥側(西側)が1段下がって2段になっています。
生城山城跡
北側をアップ!
中央左寄りの丘陵地が天野氏の生城山城跡
土岐城跡跡
南側をアップ!
土岐氏の土岐城跡が見えます。
槌山城跡
上記左手前に槌山城跡
堀切
一ツ城跡から北西の尾根に下りると堀切。
曽場ヶ城跡
そのすぐ先に大岩。
展望所?のろし台?
一ツ城跡
振り返って一ツ城跡を見上げる。
曽場ヶ城跡
曽場ヶ城跡全景。(北東側より)
(まとめ・総評)
元就(当時尼子方)による鏡山城(大内氏安芸備後の拠点)落城後、槌山城、曽場ヶ城に拠点を移す。
大内方の飯田頼氏による築城。後に尼子方に落とされ、杉野隆兼の居城となる。
城主として、その他にも結城氏、椙野氏の名も見られる。

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 参考資料: 葦書房「広島県百名山」、 広島県中世城館遺跡総合調査報告書