siro  伊勢が坪城跡(いせがつぼじょう)、比高40m
場所広島市安佐北区大林町長迫
訪問日2007年5月16日(水)
備考武蔵国熊谷郷から三入荘に移って来た熊谷氏の最初の城
地形図の表示


大林八幡宮下にある案内板。
案内板にある郭図を拡大。
その下にも地形図が...
本丸跡。
本丸にある井戸跡。
本丸から出雲街道の北方を眺める。
この先が上根峠。
A郭。
奥の盛り上がりが本丸。
A郭から出雲街道の南方を眺める。
街道と城跡の間には根の谷川が天然の堀となっている。
A郭からB郭を見下ろす。
かなりの高低差がある。
右下の方がC郭。
A郭からD郭を見下ろす。
D郭に降りる道は見当たらなかった。
C郭とは同じくらいの高度。
B郭の先には堀切が...
堀切の先にはE郭。
F郭。
手前は堀切でしょうか?...
G郭。
尾根の先端で最低所です。
すぐ下に道路が見えます。
戻ってH郭。
右上が本丸跡。
I郭。
H郭の裏側方面から本丸を望む。
大林八幡宮に下る。
「忠勇碑」、何だろう?
左下に「桂太郎」の名前が見える。
毛利の家臣桂氏の末裔の「桂太郎」でしょうか?
伊勢が坪城跡全景。(北西側より)
熊谷氏菩提所観音寺跡。
熊谷氏居館跡(高松城参照)から北西400m地点。
境内の案内板。
「・・・境内の井戸は、
有田合戦で討死した熊谷元直の腕を、
彼の妻が洗い清めたという言い伝えがある。」
とあるが下記の「清泉」での事でしょうか。

※「元直の腕」の逸話については、
 八木城のまとめ部分参照。
清泉。
別名、血洗の池。
熊谷氏の墓石群。
50基はあります。
「熊谷信直之墓」

毛利輝元、広島城移築の際、
熊谷氏もそれに従ったとありますが、
その後も熊谷氏の本拠は三入庄だったのでしょうか。
その2年後に、信直は亡くなっています。

写真は、熊谷元直の墓と言う説もあります。
観音寺の長い石垣跡。

関が原の敗戦後、
毛利氏と供に萩に移った熊谷氏は、
その後も時々家臣をここに墓参させていたと
伝えられています。
(まとめ・総評)
武蔵国熊谷郷から三入荘に移って来た熊谷氏の最初の城。
熊谷信直の代に本拠を高松山(高松城)に移し、以後、伊勢が坪城は隠居所として使用された様です。

国道54号線大林小入口交差点を東に入り300m、突き当たりを右へ、すぐ大林八幡宮下の城跡案内板の場所に着く。
そこから左へ回り込めば、裏手に2箇所登り口があるが、大林八幡宮の境内からも登れる。
駐車場は無いので付近の路肩に車を停めました。

大林八幡宮の境内から登れば、まずH郭に着く、そこから右にとって本丸を目指す。
本丸からはA→B→E→F→G郭へと下って行く。
A→BとB→E郭間は幾分高低差がある。
独立丘陵にも見えますが、裏の押手山の支尾根の先端の様です。

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 参考資料: ひろしま昔探検ネット