siro  高松城跡(たかまつじょう)、比高289m
場所広島市安佐北区可部町
訪問日2007年2月4日(日)
備考毛利元就の同盟者(家臣)、熊谷信直の居城
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可部高グランド横にある登山口の案内板。
高松城跡と大文字祭りについて書いてある。
登り始めてしばらくすると、
右手に屋敷跡の削平地がある。
登山道に沿って何段かに分かれている。

この先を右折して「与助丸」方面から山頂を目指す。
与助丸付近から可部の町を...(3倍ズーム)
中央に私の職場の「イ○○ー○ッ○」が...

更にズームアップ

展望の利く狭い郭?跡。
その上に更に郭跡。
また郭跡。
またまた郭跡。

結局「与助丸」って何処を指すのだろう?
登山道を横切る様に堀切でしょうか。
二の丸に到着。
右奥に見えるのが本丸。
山頂(本丸)に到着。
山頂の案内板。
高松城跡と熊谷氏について書いてある。
山頂東にある郭跡。
ここも本丸の一部でしょうか。
鐘ノ段。
鐘ノ段北下にある郭跡。
更に一段下にある郭跡。
本丸と鐘ノ段の間(本丸側)に残る石垣。
別ルートで下山。(下山口は登山口と同じ。)

三の丸。
奥は高松神社。
高松山全景(別日撮影)。
根の谷川(南側)の中より撮影。
根の谷川は天然の堀として、
可部付近の街道と城を寸断していた。
これも別日ですが、登山口から北へ約2km。
土居屋敷(熊谷氏居館)跡の案内板。
石垣が残る。
それを裏側から。
その横にある土居側の登山口。
この削平地も居館跡の一部でしょうか?
削平地にする為の盛り土のあとも...
居館跡と結び付けるのは考え過ぎでしょうか?
(まとめ・総評)
毛利元就の同盟者(家臣)、熊谷信直の居城。
父の元直は有田合戦(有田城跡参照)で、安芸武田氏側に就き、毛利元就に敗れ討ち死にするが、
その後、熊谷信直はその遺恨も忘れ、毛利と同盟し忠誠を尽くす。
醜いと評判の信直の娘は元就の次男、吉川元春の元に嫁ぐ。
元春側からの申し入れだが、性格に惚れたとか単なる政略結婚だとか、真相はいかに?...
ちなみに信直の母は香川氏(八木城)の出で、蛇姫の異名を持つ。

可部高から根の谷川対岸の可部高グランド北隣に登山口があり、
土手に数台停めれる駐車スペースがある。
(可部高移設の話もあるが?...)

案内板横から獣避けの柵の扉を開け、入山。
屋敷跡先で右折(見逃し易い)して、与助丸経由で山頂を目指す。
こちらの方が途中で展望が良く、絶好の休憩場所となる。
山頂の展望は東側以外良好。今回は霞んでいたので撮影してませんが、登山日記(2006.2.18)を参照下さい。
下山コースは与助丸方面を通らず、三の丸方面で下山しました。
全体的に緩やかでもなく、急でもなく、短時間で登り易い山です。

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 参考資料:H・L・C「広島近郊の山城と史跡」