毎年のくじゅう遠征の時に『中津城』の案内が目に入り、気になってた。
くじゅう遠征では、スケジュールがタイトなので中々寄れなかったが、
今回は国東半島の低山×2の工程で、ちょっと余裕があったので寄ってみた。
天守閣(模擬天守)の入城は9時~17時なので諦めて、周辺の散策程度の探訪とした。
|
 |
南側のこの鳥居をくぐると駐車場で、
無料で自由に出入り出来ます。
ちなみに、往時はここに道(橋)は無く、
左右の石垣(石塁)は繋がっていました。
|
 |
左(西側)を向くと堀と石垣。
|
 |
ここの石垣は築城から何度も増築し、
積上げていった様です。
|
 |
その痕跡。
|
 |
右方向(東側)の堀と石垣。
|
 |
上記石垣の下半分の色が違うは、
平成13~20年の修復工事で、
見えなくなっていたものを掘り出したとか...
|
 |
堀の内側(本丸)にある案内板。
ここでパンフレットをゲット!
案内板横など各所に置いてあります。
|
今回は、ここ本丸をぐるっと一周するだけですが、
街中にもっと広範囲に繰り出せば、部分的に石垣などなどの遺構が残っている様です。
|
 |
扇形の石垣の説明板。
右下図の赤い四角の部分が残っている様です。
|
 |
これです。
左端に扇形の片鱗が辛うじて見える。
|
 |
東側の椎木御門をくぐって本丸を出る。
|
 |
そこにある案内板。
|
 |
この案内板を見て、目線を上げると、
|
 |
この風景!
|
 |
ちょっと進んで別角度から...
|
 |
黒田本丸の石垣と細川時代の石垣。
|
 |
黒田が持ち込んだ古代山城の石。
|
 |
これです。
写真を撮り損ねたので、
ストリートビューより拝借。
右が黒田の石垣、左が細川の石垣。
|
 |
黒田官兵衛夫妻の像。
|
 |
その説明板。
|
 |
中津川沿いの石垣。
|
 |
左側が古代山城の石。
|
 |
中央の新しい(茶色っぽい)石の部分が、
鉄門があった所です。
|
 |
古代山城の石と鉄門跡。
|
一周して、駐車場に戻って来ました。後は天守閣を間近で見て帰るだけです。
その他、ゆかりの某神社がいくつかある様ですが、パスします。
|
 |
...
|
 |
天主閣に入れなかったので、
ストリートビューで...
|
 |
最終的には、奥平氏の居城だった様です。
|
1587年、黒田孝高(官兵衛・如水)が、秀吉より豊前国の一部を与えられ、馬ヶ岳城に入城。
1588年、中津城の築城開始。
1600年、関ヶ原の戦いで、中津城から西軍の所領を攻めた。(徳川方に所属)
同年、嫡男長政の戦功により、筑前52万石に加増、転封となり、中津城の築城は中断。
同年、細川忠興が豊前国と豊後国の一部を賜り、入封。中津城大修築を開始。後、次男興秋に引き継ぐ。
1621年、中津城完成。
後、小笠原氏が入り、江戸時代の大半は、奥平氏(中津藩)の居城となる。
-・-・-・-
官兵衛の石垣は、現存する近世城郭の石垣としては九州最古のもの。
本丸上段北面石垣には、黒田氏の石垣に細川氏が石垣を継いだ跡が見られる。(実物を見逃した!)
現在の模擬天守は、1964年、本丸北東側に観光用に建てられた。モデルは萩城天守閣。
往時、中津城には天守閣があったとか、無かったとか... ???
-・-・-・-
中津城の歴史、年表の詳細(パンフレットより)
|