siro  関ヶ原合戦 史跡めぐり
場所岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原、山中、松尾 笹尾山から関ヶ原を一望
笹尾山から関ヶ原を一望
訪問日2015年3月18日(水)
備考 天下分け目の関ヶ原合戦の史跡をめぐる、城跡探訪記 番外編!

史跡めぐりマップ
今回探訪ルート


大垣出張二日目、明日の本番(システム入れ替え)を前に準備万端、早くに終わり宿に帰る。
時間が余ったぞ。と言う事で、関ヶ原に行こう!

関ヶ原へは大垣駅から二区間、15時過ぎのJRで10数分、関ヶ原駅に到着!
何の情報も無いが、歴史民族資料館なるものがあるのは承知だったので、
駅の地図を確認して、歩く事10分足らずで歴史民族資料館に到着、入場350円也。

中は然程目を引くものもなく(主観です)、5分で一廻り、「関ヶ原合戦 史跡めぐり」のパンフレットをゲット!
パンフレットはB4折り畳み(B5)で、見開き表面一杯が観光地図になってます。
何の当ても無く来たので、とりあえず「大谷吉継の墓」に行こうとスタッフに尋ねた。
すると、親切に史跡巡りコースの説明、所要時間なども教えていただき、今回のコースになりました。

配置図
と言う事で、以下の順で廻ります。
決戦地 → 石田三成 陣跡/島左近 陣跡 → 島津義弘 陣跡 → 開戦地 → 小西行長 陣跡 → 宇喜多秀家 陣跡
→ 大谷吉継の墓 → 大谷吉継 陣跡 → 松尾山眺望地 → 福島正則 陣跡 → 藤堂高虎・京極高知 陣跡

ちなみにデジカメは昨日壊れたままなので、引き続き携帯のお粗末な画像です。

決戦地
まず資料館を出て10分で決戦地。

時系列的には最後かもしれないが、
そうはいかない!
笹尾山
そこから石田三成陣跡の笹尾山が望めます。
島左近陣跡
笹尾山の麓まで来ました。
この辺りに島左近の陣があった様です。

「三成に過ぎたるものが二つあり
島の左近に佐和山の城」の島左近です。
関ヶ原
そこにある案内図。
関ヶ原
その横に「関ヶ原合戦のあらまし」。

←拡大
石田三成陣跡
麓から数分で石田三成陣跡(笹尾山)。

色んな情報を総合すると、
三成の不人気(他武将から)とワンマンが
西軍の敗戦に繋がった様に思えます。

ただ、三成には三成なりの正義があり、
今も昔も地元の人たちには愛されている様です。
合戦陣形図
笹尾山から望む合戦陣形図。
関ヶ原
笹尾山からの展望。
石田三成陣跡
石田三成陣跡 石碑。
石田三成陣跡
その案内板。
島津義弘陣跡
笹尾山から下りて8分ほど移動で、
島津義弘陣跡。
島津義弘陣跡
そこの石碑。
バックは小西行長陣跡の天満山かな?
島津義弘陣跡
その案内板。

島津義弘の敵中突破退陣の逸話は
語るまでもないかな。
開戦地
上記から5分の移動で、開戦地。
開戦地
その案内板。
小西行長陣跡
上記から50m、小西行長陣跡。

小西行長は元は商人だが、
宇喜多直家に認められ、
次いで羽柴秀吉の家臣となり...
小西行長陣跡
そこの案内板。
関ヶ原
落ち葉一つないキレイな道です。
宇喜多秀家陣跡
小西行長陣跡から13分、
宇喜多秀家陣跡。

今にも雨の降りそうな空模様に、
木立の中の暗がりでは、
いくら気を付けても
これ(この画像)が携帯カメラの限界です。
宇喜多秀家陣跡
そこの石碑。
「宇喜多秀家公陣所跡」
宇喜多秀家陣跡
こちらは「天満山南 浮多秀家陣所古趾」とある。
宇喜多秀家陣跡
その横に説明板。
この後、上記天満山を巻く様に歩き、3分で左折してダムを渡るのですが、
左折の標識(案内板)が左折先にあり、気が付かず一旦通り越して「んっ」て地図と睨み合いをしていたら、
その先の浄水場から出てきたおじさんに「大谷吉継の墓?」と声を掛けられる。
道を教えていただき、50m程戻ってダム方向へ...

関ヶ原
ダムを渡ってちょっと先にこの案内板。
今のダムの川が「藤古川」か...
大谷吉継の墓
上記案内板の横から入山、8分で大谷吉継の墓。
宇喜多秀家陣跡からは19分です。
大谷吉継の墓
そこの案内板。

「大谷吉隆(吉継)」とあり
この地では「吉隆」で通っている様ですが、
一般には「吉継」で通っていると思うのですが...
大谷吉継の墓
真ん中に立派なのと左右に何かある。
大谷吉継の墓
上記右奥に「宮上 大谷吉隆之墓」とあるので、
これが吉継の墓かと思ったが、
よく考えるとそんな訳無い。(^^;)

上記中央のが大谷吉継の墓みたいです。
湯浅五助の墓
こちらは「湯浅五助隆貞之墓」

湯浅五助は討たれた吉継の首を埋め隠したが、
敵の藤堂仁右衛門に見つかり、
自らの首と引き換えに見逃してもらい、
それに感心した藤堂が戦後に立てた墓。
大谷吉継陣跡
上記から5分で、大谷吉継陣跡。
大谷吉継陣跡
その案内板。
松尾山眺望地
すぐ先に松尾山眺望地。
松尾山はあの小早川が陣取っていた場所です。

この辺りで雨が降り出したせいか、
眺望の写真は撮り逃した様です。
ちゃんと撮ったと思ったのですが...(^^;)
福島正則陣跡
上記から23分、ちょっと迷いながらも、
福島正則陣跡に到着!
福島正則陣跡
そこの石碑。
福島正則陣跡
そして案内板。

福島正則と言えば、
関ヶ原合戦の功績で我が地元の広島城に入る。
それもわずか19年で改易となり、
後には浅野長晟が入る。

話しは逸れて、
広島藩の浅野と言えば、赤穂浅野の本家です。
更に長晟の家臣に上田宗箇(宗箇流)がいます。
上記から8分で、某中学校の前に到着!
「藤堂高虎・京極高知陣跡→ 30m 1分」とあり、学校の敷地内の方を指してる。
ちょっと迷ったが、案内板からは学校の敷地内以外は考えられないので、門をくぐってみる。
入ってすぐ右手にあった!

藤堂高虎・京極高知陣跡
藤堂高虎・京極高知陣跡。
藤堂高虎・京極高知陣跡
その石碑。
藤堂高虎・京極高知陣跡
案内板。
これで、一応本日の予定は終了。10分かけて関ヶ原駅まで戻ります。
18時頃に駅に到着、5分後の列車で大垣へ戻ります。

それにしても、デジカメが無かったのは痛い!
せめて携帯カメラの性能がもう少し良ければ...(´_`;)





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 参考資料:歴史民族資料館で入手のパンフレット