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元就が晩年過ごした「御里屋敷跡」
現在は「少年自然の家」が建っている。
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同敷地内に「元就像」
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「元就火葬場跡」
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「大通院谷」
石垣、堀、建物の柱穴が出土したらしいが、
現在はこんな感じ。
遺跡はどこへ行ったのやら...
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「毛利隆元墓所」
隆元は吉舎の南天山城主和智誠春の饗応で急死。
毒殺説も...
説明文
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尼子が陣を張った「青三井山」
説明文
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「毛利一族墓所」
説明文
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「毛利元就墓所」
説明文
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「百万一心碑」
「一日一力一心」と読み直す。
説明文
この左下から山道に突入。
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「嘯岳禅師の墓」
元就は初七日の後、嘯岳禅師により葬された。
説明文
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「御蔵屋敷跡」
説明文
ここから本丸を取り囲む様にして郭群が配置される。
時計回りで1周しながら本丸を目指す。
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「釣井の壇」
説明文
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「釣井の壇」の井戸跡
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「姫の丸壇跡」
説明文
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「釜屋の壇跡」
説明文
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「羽子の丸跡」
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「厩の壇跡」
説明文
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「厩の壇跡」尾根の下に続く郭群。
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「厩の壇跡」から「三の丸」に向かって左下にある郭。
「馬場跡」かな?
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「三の丸跡」
説明文
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「三の丸跡」下の段にある2つの郭の間を
仕切る石垣(土塁?)。
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その下の段の1つ。
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「二の丸跡」
説明文
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「本丸跡」
奥に櫓台の盛り土が見える。
説明文
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その櫓台の上。
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櫓台の上から、手前が本丸、奥が二の丸。
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櫓台の上で記念写真。
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「二の丸跡」すぐ下の郭。
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本丸の周りを1周して、
「御蔵屋敷跡」の石垣だったと思うのですが...
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「勢溜の壇跡」
説明文
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「勢溜の壇跡」下の郭群。
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「勢溜の壇跡」横の通路。
石段(石畳?)が残る。
敵がここまで攻めてくると、
左上の「勢溜の壇」から攻撃出来る仕組み。
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「満願寺跡」
説明文
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池が...
これが「蓮池」?
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「満願寺跡」から「尾崎丸」に向かう途中、
左手下に郭群。
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堀切と奥に土塁。
土塁の向こう3m下は「尾崎丸」
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「尾崎丸」
説明文
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分かり難いが「尾崎丸」にある丸い窪み。
井戸跡かな?
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「尾崎丸」下の小郭群。
「旧本城」に続く。
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青三井山の展望以来やっと展望が開ける。(南側)
正面右よりの高所が、田渕ヶ城跡、吉常山城跡。
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「旧本城」手前の堀切。
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谷に向けて堀切が続く。
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「旧本城」の本丸を見上げる。
20mくらいはあるでしょうか。
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「旧本城」へ登る急坂の石段跡。
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「旧本城」
説明文
とにかく荒れていて、
展望どころか郭の形も分からない。
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南側の下にちらっと郭跡が見えます。
旧「二の丸」でしょうか?
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「旧本城」から「展望台」に向けて下山中、
竪堀らしき跡。
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同じく、
名も無い郭跡。
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「展望台」から南方面。
左の山の尾根の先端(中央)が天神山城跡でしょう。
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「郡山大師堂」
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「郡山公園」
説明文
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「郡山公園」にある紅葉杉
説明文
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「清神社」の「神木殿」
45mの大杉が、1999年9月に台風で倒木したもの。
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「清神社」
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「清神社」の杉の中で、
これが一番大きいのではないでしょうか。
だとすれば、幹の直径1.6m。
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郡山全景。(南から)
中央が本丸で、右に松らしき木がまばらに生えている
部分の右端の辺りが旧本丸ではなでしょうか。
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(まとめ・総評)
「元就が対尼子を見据えて郡山全山を要塞化した城」と言うコピーを付けましたが、
最近の研究では、郡山合戦の10年後に拡大したと言う説もあります。
麓の「吉田町歴史民族資料館」に車を停めて、
「郡山城跡案内図」にある「コースのご案内」に「旧本城」を加えたコースで回りました。
1周回って、約3時間かかりました。(本丸で20分休憩)
元就墓所の手前までは、車で上がる事も出来ます。そして、元就墓所の横から山道が始まります。
尾崎丸~旧本城跡は道が荒れていて、暑い季節はあまりお勧め出来ません。
とにかく郭跡が多く、案内板の無い郭もあちこちに存在します。
尼子の大群が押し寄せた時、8000人(兵農合わせて)が蘢城したのも頷けます。
「吉田町歴史民族資料館」の裏手に登山用の杖(竹製)が用意してあります。
杖としてより、殆ど蜘蛛の巣よけとして使わせてもらいました。
使い終わったら戻さないといけないのですが、「旧本城」からの戻り道の急登で折れてしまいました。
すみませんでした。m(_ _)m
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