siro  丸亀城(まるがめじょう)、比高60m
場所香川県丸亀市一番丁 現存天守の雄姿
現存天守の雄姿
訪問日2011年9月11日(日)
備考現存十二天守が一つ、日本一の石垣!
現存天守は京極氏の築城。

郭図の表示



資料館横のPから内掘外を回って大手門へ...
内堀
内堀。
資料館横の橋から南側。
内堀
内堀。
西端から大手門側。
丸亀城
大手門側から天守を仰ぐ。
木が茂って見え難いですが全面石垣。
大手二の門
大手口。
目の前は大手二の門。
鉄砲狭間
二の門の裏に鉄砲狭間。
大手一の門
二の門から枡形に曲がって大手一の門。
この2つの門も往時から存在するものです。
案内板
一の門を潜って左手に案内板。
見返り坂を登って、三の丸、二の丸、本丸へ...
見返り坂
見返り坂。
これを登って、三の丸へ向かいます。
丸亀城
三の丸石垣の北の角。
丸亀城
上記別角度から。
三の丸
三の丸東側。
三の丸
三の丸から見る讃岐富士(飯野山)。
三の丸
三の丸北にある櫓跡から瀬戸大橋方面の展望。
鉤型
三の丸から二の丸へは、
登りながら鉤型になっています。

この二の丸入口の石垣には、
櫓門が渡されていたのではないでしょうか。
二の丸
二の丸。
井戸跡
二の丸にある井戸跡。
井戸跡
覗いてみる。

深さ65m、海抜より低く、
日本一深い井戸とも...
鉤型
二の丸から本丸へも鉤型になっています。
この石垣にも櫓門があったのではないでしょうか。
本丸
本丸。
現存天守
現存天守を見上げる。
現存十二天守の中では最小だそうです。
現存天守
その説明板。
丸亀城
第一層の天井。
丸亀城
鉄砲狭間と石落しの蓋です。
丸亀城
第二層。
丸亀城
第三層、最上階です。
展望は格子窓からだけです。
丸亀城
格子窓から東側の展望。
現存天守
天守閣の北西面。
台風の被害で修復中です。

左下は三の丸、
中央奥石垣の上は二の丸、
そこへ続く道(現在通行止)は二の丸搦手口です。
本丸
本丸から東側の展望。
本丸
足元に三の丸の井戸跡が見えます。
三の丸を西回りで一周して搦手口へ...
石垣
三の丸より二の丸北隅の石垣。
石垣
二の丸北西面の石垣。
現存天守
天守閣を正面からですが、残念!
丸亀城
大手門少し左手、
藩主玄関先御門や番所長屋跡が見えます。
番所長屋跡
更に左を向いて、
この芝生広場辺りに藩主の館があった様です。
井戸跡
先程本丸から見えた三の丸の井戸跡です。
石垣
北東に移動して、こちらは二の丸の石垣です。
石垣
こちらも二の丸の石垣ですが、
櫓台でしょうか。
石垣
搦手を下りながら、奥は三の丸の石垣です。
搦手口
搦手口。
奥が城域です。
内堀
そこから右手の内堀。
内堀
左手の内堀。
丸亀城
南側より、本丸南端の石垣です。
丸亀城
駐車場(南西側)からも見上げます。
丸亀城
帰りに与島PA(瀬戸大橋)から城跡をズーム!
丸亀城
逆に城から与島PAをズーム!
約11kmある様です。
(まとめ・総評)
1597~1602年、讃岐国領主生駒氏により築城。
1615年、一国一城令により廃城。
1641年、生駒氏、お家騒動(生駒騒動)の為、出羽国に転封。
1642年、山崎氏、肥後国より入府、西讃岐国(讃岐国二分)丸亀藩主となる。
1643年、山崎氏により再築。
1656年、丸亀城焼失。
1657年、山崎氏、嫡子が無い為、断絶。
1658年、播磨国より京極氏が入封、丸亀藩主となる。
1660年、京極氏により再築。(これが現存する天守です。)

標高66mの亀山に築かれた平山城(丘城)。別名亀山城とも...
本丸、二の丸、三の丸、帯郭、山下郭から成り、天守は現存十二天守の1つ。
日本一の高さを誇る石垣は「石の城」と形容され、全国に名をとどろかせる。

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 参考資料:丸亀市観光情報サイト(丸亀城)