siro  星カ城跡(ほしがじょう)、比高160m
場所広島県広島市安佐北区白木町小越
訪問日2009年2月15日(土)
備考中郡道から志和堀へ抜ける街道の分岐を抑える要構
郭図の表示



A郭。
B郭。
A郭とは軽い段差があるだけ。
A郭北にある土塁。
A郭にある虎口。
ほとんど道の体をなしていないが、
ここから北の堀切に向けて下りてみる。
A郭北下にある畝状堀切。
3本ある。
1本目。
右上がA郭。
2本目。
3本目。
これも3本目かな?
D郭。
E郭。
E郭先の鞍部手前で尾根上に段差が付けてある。
戻って1本目堀切辺りにある石垣跡。
1本目堀切からA郭を見上げる。
A郭北西下にある井戸跡。
C郭。
C郭北にある土塁。
C郭からA郭を見上げる。
石がふんだんに使ってあります。
C郭からB郭を巻いて一旦登って南側へ、
その辺りから南西の展望。
先ほど登った旭日山城跡が見えます。
F郭。
F郭西の土塁。
F郭南の土塁。
F郭から中郡道を見下ろす。
南東方向。
天野氏の領地、志和へ抜ける道。

中央一番奥が金明山城跡
F郭から南に下った鞍部にある堀切。
堀切を東へ下りながら振り返る。
星カ城跡全景。(南側より)
(まとめ・総評)
井上元兼、市川経好などの居城。
市川経好は吉川経世の子で、経世らと共に吉川興経を廃し、元就三男元春を吉川家に迎えた。
その際、安芸国市川を加増されて、吉川から市川へと改姓した。

西に三篠側、中郡道、南に関川、志和堀へ抜ける街道を見下ろす要構。
畝状堀切、井戸跡が見事に残っています。他に郭跡も比較的藪に侵される事なく残っています。

東の谷筋から車で入り、途中から未舗装路になる辺りに車を停めさせてもらい、歩いて北上、
右に池を見てその先の左の谷筋から入り、途中からその谷筋北の尾根に取り付きました。
これが主郭から南東に延びる支尾根になりますが、ここは藪が深く、倒木、急坂でかなり苦労し、失敗でした。
下りで南端の堀切から東へ谷筋を下りましたが、何の苦労も無く、これが正解でした。(最初に入った谷筋でした)
この谷筋から登り、主郭、畝状堀切を経て、その北の谷筋から東へ下山するのがベストでしょう。

この日、3城を廻った3城目です。
旭日山城跡のメンバー4人で登りました。

back  comment


 
 参考資料: ひろしま昔探検ネット