siro  五龍城跡(ごりゅうじょう)、比高130m
場所広島県安芸高田市甲田町甲立
訪問日2008年1月26日(土)
備考元就の娘(五龍局)が嫁いだ宍戸隆家の城

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今回は宍戸関係の史跡巡りをメインに、最後に五龍城跡を探訪してきました。
五龍城は前回(2006.4.23)より奥まで探検し、多分ほぼ最深部まで行ったのではないでしょうか。

理窓院(菩提寺)
境内はずれにある「宍戸元源の墓」案内板。
元源の墓。
その妻の墓。
境内の上の方には「宍戸隆忠公之墓」とある。
元源の子、隆忠の墓でしょうか。
宍戸大明神の社叢
天叟寺跡を探している途中で「宍戸大明神の社叢」
の標識を発見。
幹線道路を外れ、しばらく行くと案内板が...
長い石段を上る。
上りきると杉木立と社殿が...
天叟寺(菩提寺)跡
「宍戸隆家夫妻の墓」案内板。

ここで言う「妻」とは石見氏から入った後妻の事。
最初の妻五龍の局(元就の長女)の墓は
「天叟寺旧地にあり」とあり、場所は不明である。
 ↓
(追記)ここにあった!
手前が隆家、奥が妻女の墓。
五龍城跡
司箭神社裏参道入り口付近。
前回(H18.4.23)無かった石碑が出来ていた。
この付近には色々五龍城関係の説明版があります。
その中の「五龍城の由来」
裏参道を登る途中にある石垣跡。
尾崎丸から宍戸氏の旧拠点、柳ヶ城跡を仰ぐ。
司箭神社社殿に貼ってある「五龍城跡図」
郭図の資料では「足軽の段」までしか
載っていないが、これにはその奥まで載っている。

下記は左端の拡大図。

物見の段北下にある石垣跡。
物見の段先で一旦下ります。
堀切でしょうか?
一位の段から北側。(3.6倍ズーム)
中央の辺りが理窓院です。
櫓の段に登る道の石垣跡。
櫓の段北斜面にある竪堀。
櫓の段先の堀切から櫓の段を振り返る。
土塁の中央に通路がある。
三の丸にある石垣跡。
三の丸北側にある土塁。
二の丸北側にある石垣跡。
本丸。
奥に高々と土塁が見える。
その土塁下の石垣。
明らかに近年積み上げられたもの。
土塁の上から本丸を見下ろす。
本丸から南下の郭に降りてみた。
本丸を見上げると淵沿いに石垣が...
これも近年積まれたもの???

ここから御笠丸方面へ...
御笠丸郭群の南側の山道を抜けると石垣跡が...
御笠丸奥の堀切?
竪堀。
更に奥へ進む道の両側に空堀。
この辺りは堀が入り組んでいる。

堀はこんな感じ。

池の跡。
その下の足軽の段。
足軽の段にある井戸跡。
司箭神社社殿に貼ってある「五龍城跡図」だと、
これが岡佐丸でしょうか?
この辺りはもう郭の体はありません。

ここから引き返します。
御笠丸北西下にある石垣跡。
北西から御笠丸にアプローチ。
御笠丸西端の土塁(一ノ塁)から、
奥の堀切?を見下ろす。
御笠丸と奥の土塁。

前回「御笠丸」と思ったのは「二ノ塁」で、
「御笠丸奥の土塁」と思ったのは「御笠丸」でした。
御笠丸から二ノ塁を見下ろす。
お釜の段北下にある郭。
本丸か姫の丸北下にある石垣跡。

ここから北側の犬走りを通って三の丸に出、
下山する。
五龍城全景(東側より)。
手前の端が尾崎丸、中央のコブが本丸、
その左のコブが御笠丸、次のコブが岡佐丸
ではないでしょうか?
五龍城全景(南東側より)。
中央が御笠丸、その左の高所が岡佐丸でしょうか。
五龍城全景(北側より)。左端中央が尾崎丸、中央が御笠丸、その間が本丸。

(まとめ・総評)
宍戸氏は鎌倉時代の御家人八田知家を祖とし、小田氏と同族。当初は常陸に勢力を持ったが、後安芸に分家した。
知家は嫡子の知重を小田氏に入れ、四男の家政に宍戸荘(常陸国笠間郡)を与え、宍戸氏を名乗った。
足利尊氏に従っていた宍戸朝里(朝家)が安芸守に任じられ甲田に入り、安芸宍戸氏の祖となる。
元就と和睦、同盟した元源は安芸宍戸氏の七代目、元就の長女(五龍の局)を妻とした隆家は九代目となる。

JR芸備線甲立駅前交差点より北西に600m、突き当たりを右に行くと、200m弱で橋の手前左に駐車スペース、
ここから裏参道で尾崎丸を目指す。少し戻ると表参道からも登れる。

駐車スペースの所に郭図があり、足軽の段までは書いてあるが、その先は司箭神社の「五龍城跡図」しか無く、
岡佐丸、関所等は場所がいまいち不明である。
今回の探訪で1時間40分、周辺の名も無い郭も全て廻って、関所(位置不明)まで行けば、
もっと時間がかかり、見応えもあるでしょう。


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 参考資料: H・L・C「広島近郊の山城と史跡」