siro  発坂城跡(ほっさかじょう)、岩田城跡(いわたじょう)、比高120m、140m
場所広島県安芸太田町(戸河内)土居
訪問日2006年11月9日(木)
備考堀切で守られた栗栖氏の堅城
地形図の表示 


登山口にある説明板。
登山口にある説明板(その2)。

岩田城は発坂城の見張り所と考えられている様...
入口に電流線が張ってあります。
簡単に外れる様にはなっていますが、
右側に回って跨いで入りました。
尾根に到着。
案内板は朽ちて倒れているが、
中電の標柱に手書きで書いてある。
左が岩田城、右が発坂城、とりあえず右へ...
途中に堀切。
最初の郭に到着。
手前に井戸跡らしきものが...
その郭と主郭の間に堀切。
主郭を見上げる。(手ぶれ(T_T))
発坂城主郭。
主郭から石垣跡をなめながら南東の小郭。
主郭から北東の小郭。
主郭から南西の小郭を確認できなかったので、
堀切辺りから南への下山道を少し行くと、
左上に確認出来た。
岩田城主郭東下の段に到着。
振り返るとこんな急坂。
主郭。
そこから南西の展望。
展望はこれくらいしか無い。
主郭から北西に行くと堀切がある。
見下ろす。5mくらいはあるでしょうか?
降りてみる。

断面図はこんな感じ。

更に下のほうまで続いている。
向こう側の土塁を乗り越えて更に向こうの郭跡。
下山途中、南西の展望が開ける所が1箇所ある。
全景。
右端が発坂城、左の鉄塔の後ろが岩田城。
(まとめ・総評)
栗栖氏の城。
栗栖氏は大内氏麾下藤原興藤(桜尾城主)の家臣だったが、藤原氏謀反で桜尾城落城、
その後、栗栖氏は毛利氏の麾下に入っている。
岩田城が先に築かれ、後に発坂城が築かれた様。
岩田城は発坂城の見張り所の役割を果たしていたと思われる。

戸河内ICから国道191号線を西へ3kmちょっと、町道土居寺領線を右折700m、
トンネル手前右に発坂城の案内板がある。
その左に駐車スペースがあるので車を置かせてもらう。

獣避け?の電流線があるので、外すか跨いで入山します。
尾根までは狭い道ですが、中電の鉄塔があるので整備されています。
尾根から発坂城はさほど高低差はありませんが、岩田城はかなりの急坂を登ります。
岩田城先の堀切は急坂で高低差があるので降りるのはちょっと苦労します。
展望はほとんどありません。

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 参考資料:H・L・C「広島近郊の山城と史跡」