siro  郡山城跡(こおりやまじょう)、比高195m
場所広島県安芸高田市吉田町吉田
訪問日2006年8月29日(火)
備考元就が対尼子を見据えて郡山全山を要塞化した城
郡山城跡案内図
毛利元就と戦国武将


元就が晩年過ごした「御里屋敷跡」
現在は「少年自然の家」が建っている。
同敷地内に「元就像」
「元就火葬場跡」
「大通院谷」
石垣、堀、建物の柱穴が出土したらしいが、
現在はこんな感じ。
遺跡はどこへ行ったのやら...
「毛利隆元墓所」
隆元は吉舎の南天山城主和智誠春の饗応で急死。
毒殺説も...
説明文
尼子が陣を張った「青三井山」
説明文
「毛利一族墓所」
説明文
「毛利元就墓所」
説明文
「百万一心碑」
「一日一力一心」と読み直す。
説明文

この左下から山道に突入。
「嘯岳禅師の墓」
元就は初七日の後、嘯岳禅師により葬された。
説明文
「御蔵屋敷跡」
説明文

ここから本丸を取り囲む様にして郭群が配置される。
時計回りで1周しながら本丸を目指す。
「釣井の壇」
説明文
「釣井の壇」の井戸跡
「姫の丸壇跡」
説明文
「釜屋の壇跡」
説明文
「羽子の丸跡」
「厩の壇跡」
説明文
「厩の壇跡」尾根の下に続く郭群。
「厩の壇跡」から「三の丸」に向かって左下にある郭。
「馬場跡」かな?
「三の丸跡」
説明文
「三の丸跡」下の段にある2つの郭の間を
仕切る石垣(土塁?)。
その下の段の1つ。
「二の丸跡」
説明文
「本丸跡」
奥に櫓台の盛り土が見える。
説明文
その櫓台の上。
櫓台の上から、手前が本丸、奥が二の丸。
櫓台の上で記念写真。
「二の丸跡」すぐ下の郭。
本丸の周りを1周して、
「御蔵屋敷跡」の石垣だったと思うのですが...
「勢溜の壇跡」
説明文
「勢溜の壇跡」下の郭群。
「勢溜の壇跡」横の通路。
石段(石畳?)が残る。

敵がここまで攻めてくると、
左上の「勢溜の壇」から攻撃出来る仕組み。
「満願寺跡」
説明文
池が...
これが「蓮池」?
「満願寺跡」から「尾崎丸」に向かう途中、
左手下に郭群。
堀切と奥に土塁。
土塁の向こう3m下は「尾崎丸」
「尾崎丸」
説明文
分かり難いが「尾崎丸」にある丸い窪み。
井戸跡かな?
「尾崎丸」下の小郭群。
「旧本城」に続く。
青三井山の展望以来やっと展望が開ける。(南側)
正面右よりの高所が、田渕ヶ城跡、吉常山城跡
「旧本城」手前の堀切。
谷に向けて堀切が続く。
「旧本城」の本丸を見上げる。
20mくらいはあるでしょうか。
「旧本城」へ登る急坂の石段跡。
「旧本城」
説明文

とにかく荒れていて、
展望どころか郭の形も分からない。
南側の下にちらっと郭跡が見えます。
旧「二の丸」でしょうか?
「旧本城」から「展望台」に向けて下山中、
竪堀らしき跡。
同じく、
名も無い郭跡。
「展望台」から南方面。
左の山の尾根の先端(中央)が天神山城跡でしょう。
「郡山大師堂」
「郡山公園」
説明文
「郡山公園」にある紅葉杉
説明文
「清神社」の「神木殿」
45mの大杉が、1999年9月に台風で倒木したもの。
「清神社」
「清神社」の杉の中で、
これが一番大きいのではないでしょうか。
だとすれば、幹の直径1.6m。
郡山全景。(南から)
中央が本丸で、右に松らしき木がまばらに生えている
部分の右端の辺りが旧本丸ではなでしょうか。
(まとめ・総評)
「元就が対尼子を見据えて郡山全山を要塞化した城」と言うコピーを付けましたが、
最近の研究では、郡山合戦の10年後に拡大したと言う説もあります。

麓の「吉田町歴史民族資料館」に車を停めて、
「郡山城跡案内図」にある「コースのご案内」に「旧本城」を加えたコースで回りました。
1周回って、約3時間かかりました。(本丸で20分休憩)

元就墓所の手前までは、車で上がる事も出来ます。そして、元就墓所の横から山道が始まります。
尾崎丸~旧本城跡は道が荒れていて、暑い季節はあまりお勧め出来ません。
とにかく郭跡が多く、案内板の無い郭もあちこちに存在します。
尼子の大群が押し寄せた時、8000人(兵農合わせて)が蘢城したのも頷けます。

「吉田町歴史民族資料館」の裏手に登山用の杖(竹製)が用意してあります。
杖としてより、殆ど蜘蛛の巣よけとして使わせてもらいました。
使い終わったら戻さないといけないのですが、「旧本城」からの戻り道の急登で折れてしまいました。
すみませんでした。m(_ _)m

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 参考資料: H・L・C「広島近郊の山城と史跡」