siro  二条城(にじょうじょう) 平城
場所京都市中京区二条通堀川西入二条城町541 本丸の隅に佇む天守台
本丸の隅に佇む天守台
訪問日2005年1月17日(月)
備考 徳川家康の築城、現代まで受け継がれてきた城

郭図の表示
城内マップ(元離宮二条城より)



過去分アップ、最終第5弾。

13年前の話し...
嫁の従姉妹の結婚式で、家族3人と嫁の両親とで滋賀県まで行った。
帰りに京都に寄り、清水寺、金閣寺、二条城と観光。その時の二条城の様子を紹介します。

東大手門
東大手門。
二条城
上記を潜って案内板。
唐門
唐門。
二の丸御殿
二の丸御殿。の玄関。
ここは中に入れます。
二の丸庭園
二の丸庭園。
二条城
東橋を渡って本丸を目指す。
御常御殿
御常御殿。
本丸御殿
天守閣跡から本丸御殿、御常御殿。
天守台
西橋を渡りながら天守台。
北中仕切門
北中仕切門を潜って振り返る。
北大手門
北大手門。
二条城
右手に収蔵庫を見ながら、
一番奥左が、周回して東大手門。
1601年(慶長6年) 、徳川家康の上洛時の宿所として築城開始。
1603年(慶長8年) 、竣工(天守は慶長11年に完成)。征夷大将軍に任命された家康が入城。
1611年(慶長16年)、二の丸御殿において家康と豊臣秀頼の会見。
1614年(慶長19年)、大坂冬の陣において、家康の本営となる。(この時の征夷大将軍は秀忠)
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1866年(慶応2年) 、一橋慶喜は将軍就任を拒絶。幕閣や朝廷の説得の末、二条城にて十五代将軍を拝命。
1867年(慶応3年)9月、慶喜が宿所を若狭小浜藩邸から二条城に移す。
       10月、大政奉還。
       12月、王政復古の大号令。薩摩藩との衝突を避けるため、慶喜は二条城から大坂城へ。
          二条城は若年寄 永井尚志の預かるところとなる。後、水戸藩士 梅沢孫太郎に。
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1939年(昭和14年)、「元離宮二条城」という名称に。
1994年(平成6年) 、世界文化遺産に登録。「古都京都の文化財」
2006年(平成18年)、日本100名城に選定。

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(色々な二条城)
・室町幕府13代将軍足利義輝の居城。
・室町幕府15代将軍足利義昭の居城。織田信長による築城。(「旧二条城跡」として石碑が残る。)
・織田信長が上洛時の宿所として築城。後に皇太子に献上。
・徳川家康が上洛時の宿所として築城。←(これが現在の二条城。)





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 参考資料:元離宮二条城