siro  岡山城おかやまじょう(烏城うじょう) 平城
場所岡山市北区丸の内2丁目3-1 黒塗りの烏城天守
黒塗りの烏城天守
訪問日2003年10月11日(土)
備考 宇喜多秀家の築城、池田氏の作った後楽園を抱える

現在地図Google Mapより)


14年以上前の事...
岡山、兵庫旅行の際、岡山城に行った。

過去分アップの第2弾です。
なので、写真は少ないので悪しからず...

内堀内(本丸)
石垣
内下馬場跡の石垣。
石垣
中の段南西の石垣。
案内板
案内板。
不明門
不明門。
岡山城
烏城の異名を持つ天守閣。
後楽園
天守より、後楽園を見下ろす。
しゃちほこ
しゃちほこ。
しゃちほこ
を、正面から...
御城内御絵図
御城内御絵図。
後楽園へ
岡山城
旭川(橋)を渡って、後楽園(左手)へ移動します。
後楽園
後楽園案内板。
沢の池
沢の池。
延養亭
延養亭。

藩主の居間。
戦災で焼失、昭和35年に復元。
茂松庵
茂松庵。

茶会などが行われていた。
戦災で焼失、昭和27年に復元。
御舟入跡
御舟入跡。

藩主が城から舟で渡ってきた時の舟着場。
後楽園
沢の池に浮かぶ、島茶屋、中の島、御野島。
岡山城
沢の池なめの天守。
別名、烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)とも...

慶長2年(1597年)、宇喜多秀家の築城。
黒漆塗りの壁から『烏城』とも呼ばれ、隣県の『白鷺城(姫路城)』と対比される事も...

関ヶ原合戦敗戦後、秀家は八丈島に流罪、小早川秀秋が入る。
秀秋の早世後、播磨姫路藩三代藩主池田光政が岡山藩主となり、明治維新まで池田氏の預かるところとなる。
(小早川秀秋を初代藩主(幕藩体制)とする説と、池田光政を初代とする説がある。)

旭川を挟んで北側に位置する日本三名園の『後楽園』は、二代藩主綱政(光政の子)の時代に作られた。

昭和20年、空襲で天守閣焼失。
昭和41年、再建。





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 参考資料:「岡山城」公式ホームページ