別名、烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)とも...
慶長2年(1597年)、宇喜多秀家の築城。
黒漆塗りの壁から『烏城』とも呼ばれ、隣県の『白鷺城(姫路城)』と対比される事も...
関ヶ原合戦敗戦後、秀家は八丈島に流罪、小早川秀秋が入る。
秀秋の早世後、播磨姫路藩三代藩主池田光政が岡山藩主となり、明治維新まで池田氏の預かるところとなる。
(小早川秀秋を初代藩主(幕藩体制)とする説と、池田光政を初代とする説がある。)
旭川を挟んで北側に位置する日本三名園の『後楽園』は、二代藩主綱政(光政の子)の時代に作られた。
昭和20年、空襲で天守閣焼失。
昭和41年、再建。
|