siro  中津城なかつじょう跡 (平城)
場所大分県中津市二ノ丁本丸 これが三大水城の所以!
これが三大水城の所以!
訪問日2026年5月31日(日)
備考 黒田官兵衛の築城、築城中転封した黒田氏に代わり細川氏が完成させる

現在地図  古地図



9年前中山仙境に行く途中に寄った時は、早朝過ぎて天守に入れなかったので、9年超しのリベンジ。

前日にくじゅうの平治岳に登り、耶馬トピアの駐車場で車中泊、
早朝に競秀峰に登り、後、古羅漢に登り、イオンで昼食を採って、中津城にやってきた。

広い駐車場に止めて天守を目指すと、前は無かったゲートが... 入場料、1000円也。まあまあな値段だ! (^^;)
入場後、まずは黒田官兵衛資料館へ...

黒田官兵衛
「黒田官兵衛孝高の生涯」

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黒田官兵衛
「中津の城下町づくり」
石垣原の戦い
「石垣原の戦い」

関ヶ原の戦いに合わせ、九州で挙兵。
西軍の大友氏と戦う。(官兵衛は東軍)
石垣原の戦い
関ヶ原の戦いは一日で終わるが、
官兵衛は二ヶ月掛けて島津氏以外の九州を制圧。
後、家康より停戦命令が出される。
関ヶ原の戦い
関ヶ原の戦いに参加した長政(子)に、
一日で戦いを終わらせた愚や、
家康に手を握られて感謝された際に
何故空いた手で刺さなかったのかと責めた。
有名な逸話...
中津城
九年越しでやっと天守閣に入れる。
中津城
往時、天守閣はあったとか? 無かったとか?

黒田、細川時代には天守があった可能性が高く、
奥平時代には無かった可能性が高いとか...
往時の文書や絵図からそう推測される。
鎮西八郎為朝
奥平家の家宝の槍。
鎮西八郎為朝
鎮西八郎為朝が使用した鏃(矢尻)だとか...

鎮西八郎為朝は、昔小説で読んだので馴染み深い。
好きな小説で、2度は読んだ! (^_^)
天守閣
天守最上階から北側の展望。

中津川、海に面した水運の要衝の城と言うことで、
三大水城の一つと言われる。
天守閣
東側の展望。
天守閣
南側の展望。
天守閣
西側の展望。
薬研堀
薬研堀。
稜線
中津城とは関係無いが、
西側の奥になだらかな一直線の稜線が見える。
面白い地形だ! (^^)
中津城
天守閣から出て、一周廻ってみる。
中津城
...
石垣
黒田の石垣と細川の石垣。
石垣
右が黒田、左が細川。
中津城
「中津城ビューポイント」
官兵衛がここに城を築くと決めたであろう場所。

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石垣
中津川沿いの石垣。
石垣
...
石垣
...
石垣
これで一周廻って、駐車場に戻る。
前回(2027.11.25)のレポはコチラ! (更に詳しく)

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以降、前回レポのコピペ!

1587年、黒田孝高(官兵衛・如水)が、秀吉より豊前国の一部を与えられ、馬ヶ岳城に入城。
1588年、中津城の築城開始。
1600年、関ヶ原の戦いで、中津城から西軍の所領を攻めた。(徳川方に所属)
同年、嫡男長政の戦功により、筑前52万石に加増、転封となり、中津城の築城は中断。
同年、細川忠興が豊前国と豊後国の一部を賜り、入封。中津城大修築を開始。後、次男興秋に引き継ぐ。
1621年、中津城完成。
後、小笠原氏が入り、江戸時代の大半は、奥平氏(中津藩)の居城となる。

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官兵衛の石垣は、現存する近世城郭の石垣としては九州最古のもの。
本丸上段北面石垣には、黒田氏の石垣に細川氏が石垣を継いだ跡が見られる。

現在の模擬天守は、1964年、本丸北東側に観光用に建てられた。モデルは萩城天守閣。
往時、中津城には天守閣があったとか、無かったとか... ???

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中津城の歴史、年表の詳細(パンフレットより)
年表




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 参考資料:中津城公式ホームページ