大野城跡探訪後、その足で岩屋城跡に寄った。
四王寺林道(車道)添いの入口からすぐに寄れて、お手ごろだ。
駐車場は無いが、入口前後に2ヶ所ほど路肩に停めれるスペースがある。
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ここが入口。
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横に案内板。
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すぐにここを右へ...
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入口から2分足らずで本丸到着!
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石碑。「嗚呼壯烈 岩屋城址」
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大宰府市、大野城市、春日市方面を一望出来る。
右手の展望。
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上記、飛行機をズーム!
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正面の展望。
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上記、大宰府政庁跡をズーム!
修学旅行かな?
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左手の展望。
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展望図。
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奥に土塁が見える。
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土塁に登ると、ここが岩屋山山頂だ。
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そこから本丸を見下ろす。
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戻って、車道を挟んで、
ここから「高橋紹運公墓」へ...
案内板があるが、
この時は気が付かなかった。(^^;)
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下ると、モミジのグラデーションがいい感じ!
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どれくらい下るのかは分からなかったが、
2分で到着!
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墓石は無いが、これが紹運の墓所なのでしょう。
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端っこに「侍従武官御墓造記念碑」とある。
岩屋城の戦いで、島津軍に敗れ、
紹運と共に玉砕した城兵の事かな...
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1554年、大友氏の武将、高橋鑑種の築城。大友氏筑前支配の拠点。(着工 1532年)
その後、高橋鑑種は大友宗麟に反旗し、城を逐われ、
大友家の宿老の子 吉弘鎮種が、高橋氏を継いで高橋鎮種と名乗り、城主となる。(後、法名 高橋紹運)
1586年、九州制覇を目指す島津氏に攻められ、籠城の末落城、高橋紹運は自害した。(岩屋城の戦い)
九州を平定するべく豊臣軍上陸をきっかけに島津軍は撤退、紹運の子 統虎が城を回復した。
1587年、秀吉による九州平定後、廃城となる。
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四王寺林道(車道)の路肩に車を停め、城跡も高橋紹運の墓もすぐだったが、麓から登山してくる人もいるよう。
展望良好で、広く気持ちのいい山頂なので、地元の山であれば是非登ってみたい山なのかな...
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