siro  世界文化遺産 姫路城(ひめじじょう) 比高25m
場所兵庫県姫路市本町 現存天守の勇姿!
現存天守の勇姿!
訪問日2016年4月9日(土)
備考 黒田官兵衛から献上された、秀吉の中国征伐の拠点。

郭図の表示(姫路城公式ホームページより)
鳥瞰図の表示(明治初期のもの)



本日は家族旅行の一工程で姫路城を訪れた。
朝9時着の予定で来たら、予定外に早く、駐車場に8時半に到着!
9時からの開場(三の丸先の入城口)なので、ちょうどよかったかな...

昨年3月、平成の大改修を終えたせいか、人・人・人の上、ロープ等で通路が作られ、それに沿って歩かされる。
通路から外れると立入禁止が多く、城跡マニアにはちょっとどうかなって感じです。

堀
大手前駐車場に停め、大手門に向かう途中...
大手門
大手門が見えて来た。
大手門
大手門に向かう橋の上から天守が見える。
水路
大手門横の水路。
何の用途かな?
姫路城
大手門を潜ると、
広大な三の丸を挟んで天守がそびえる。
(ちょっとズーム!)
三の丸
三の丸の西側は、1段高くなってこんな感じ。
三の丸
そこから西の丸に建つワの櫓(奥)とカの櫓を仰ぐ。
この後、入城口があり、入城料を支払って入る。
そこで天守入城の整理券を渡されるが、混雑する為か天守には1度しか入れない様だ。

姫路城
ここを曲がって...
姫路城
更にその先を曲がると...
菱の門
菱の門。
鳥瞰図
菱の門を潜った所にある鳥瞰図
南門跡
菱の門を潜って直進すると、天守方面ですが、
まずは左手(西側)の西の丸に寄ります。
南門跡
そこにある南門跡の礎石。
左上は武者溜りです。
西の丸
西の丸。の南端。
姫路城
西の丸から見た天守。
百間廊下
西の丸の堀沿いの外周には、
西の丸長局(百間廊下)が伸びている。
南門跡から西の丸に上がると、ロープが張ってあり一旦北上、
折り返すように百間廊下沿いに南下、西の丸南西隅のワの櫓から百間廊下に入ります。

百間廊下と天守は土足禁止です。靴をビニール袋に入れて持ち歩くので、そのつもりで...

堀
百間廊下の途中の窓から堀を見下ろす。
石落とし
石落とし。
百間廊下
百間廊下の中はこんな感じ...
姫路城
百間廊下から見た天守。
姫路城
ズーム!
このアングルが一番いい感じかな?
模型
なんの模型だったかな...
西の丸
百間廊下(北側)から西の丸を見渡す。
化粧櫓
化粧櫓(百間廊下の北東端)には
百人一首?をしている人形が...
姫路城
化粧櫓から見た天守。
鉄砲狭間
西の丸東面の鉄砲狭間。
西の丸からは北東側に下りる道がありますが、ロープが張ってあり通行止め。
先ほど上がって来た南門跡まで戻されます。

いの門
そして、いの門を潜る。
ろの門
次は、ろの門。
はの門
はの門。
にの門
にの門。
にの門
にの門は潜りながら曲がる。
ほの門
ほの門を潜って、
乾小天守
乾小天守を見上げる。
ここで180度ターンして、
水一門
水一門を潜る。
水二門
水二門。
この後、水三門、水四門、水五門と折れ曲がりながら潜って、天守群に突入する!


ジオラマ
城下町のジオラマ。
ジオラマ
城郭周辺をズーム!
ロの渡り櫓
人の流れに身を任せて進んでいるので、
どこをどう通ったか分からないが、
ここが ロの渡り櫓 かな?
東小天守
そうすると、ここが東小天守で、
これがその骨組みの模型かな?
二重扉
で、これが
イの渡り櫓 から大天守に繋がる二重扉かな?
姫路城
東側の展望。
武具掛け
武具掛け。
二重扉
ニの渡り櫓 への二重扉。
東大柱
大天守3階、東大柱。
姫路城
大天守4階。
この後、5階を経て最上階へ...
最上階は大混雑、窓側は人・人・人で、流れてはいるがなかなか進まず。
なので、人の隙間から写真だけ撮って、早々に下りに入る。

姫路城
西の丸方面。
百間廊下が見えます。
姫路城
三の丸方面。
お花見の季節です。ブルーシートが目立つ!
シャチホコ
シャチホコ。
姫路城
東側。
西小天守
外に出て、西小天守側から見上げる。
備前丸
備前丸まで下りて来ました。
姫路城
そして、正面から大天守。
姫路城
こちらは斜めから...
備前門
備前門を外側に潜って、振り返る。
腹切丸
腹切丸に続く階段。(腹切丸は非公開)
りの門
りの門。
姫路城
りの門を潜って、備前丸の石垣越しに大天守。
お菊井戸
二の丸にあるお菊井戸を覗き込む。
ぬの門
ぬの門。
左は改修中の りの一渡櫓。
扇の勾配
ぬの門を潜ると、扇の勾配。
三国堀
周回して三国堀まで戻って来ました。
堀(池)越しの天守。
黒田官兵衛ゆかりの石垣
入城口を出て左(東)へ...
黒田官兵衛ゆかりの石垣。
黒田官兵衛ゆかりの石垣
その石垣。
姫路城
三の丸まで戻って天守をバックに記念の1枚!

この時、シャッターをお願いしたおじいちゃんが、
鞄から写真を取り出して、3枚の写真頂いた!
姫路城
最後に堀の外からズーム!
鎌倉時代、赤松則村(播磨国守護)が京への足がかり(元弘の乱)に築いた砦が始まり。
その後、赤松氏→小寺氏→黒田氏と城主を代え、山陽道の要衝にある事から、
黒田官兵衛(孝高)が中国(毛利氏)攻めの羽柴秀吉に献上、秀吉はここを拠点に周囲を平定、
鳥取城攻めや備中高松城攻めの拠点ともなり、毛利勢と戦う事となる。その他、詳細はコチラを参照!

改修後、あまりの白さに「シロスギ城」(白鷺城)と言われた天守も、カビのせいで落ち着いた感じに...
立入禁止や、観覧コースに入ってないエリアが多かったが、
また観光客(の数)が落ち着けば、自由に散策(探訪)出来る時が来るかな?

↓これが前記のおじいちゃんに頂いた写真。
頂いた写真




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 参考資料:姫路城公式ホームページ