siro  土肥城跡(どいじょう)、比高30m
場所広島県山県郡北広島町南方 城跡らしい風貌
城跡らしい風貌
訪問日2012年4月7日(土)
備考毛利氏家臣 南方氏の本拠 本郷城の支城。

郭図の表示




横堀
街道に面した側以外は横堀に囲まれてます。
その南東側から入ります。
堀切
城域南側は、堀切状になっています。
(左が尾根、右が城域)
横堀
横堀を行くと南西側に枝分かれし、
更に二股になってます。
土肥城跡
そこから振り返って1郭。
横堀
ちょうど裏側(街道側から)の横堀。
横堀
北西側には土塁があり、横堀を2条にしています。
横堀
その外側の横堀。
3郭
土塁横から斜面を這い上がり、3郭。
石積み跡
3郭と2郭の間に石積み跡。
2郭
2郭。
土塁
2郭南西にある土塁。
1郭
1郭。
土塁
1郭の堀切側にある土塁の上。
1郭は最高所ですが、主郭と呼ぶには狭い。

1郭は、土塁の土台か櫓台で、
2郭が主郭ではないでしょうか?
本郷城跡
街道を挟んで本郷城跡。
小郭
3郭の東下の小郭。
小郭
更に東下の小郭。
4郭
4郭。
虎口
4郭と隣の小郭の間に虎口。
虎口
虎口を下側から...
土肥城跡
4郭から下を見下ろす。
郭の体は無いが、段差が付けてある。
横堀
写真1枚目の横堀を4郭から...
土塁を挟んで2条になってます。
土肥城跡
街道から見上げると、城らしく見えます。
土肥城跡
土肥城跡全景。(北側から)
(まとめ・総評)
南方(みなかた)氏の本拠 本郷城の支城。
南方氏は、下総、後に豊前を領した門司氏の一門。
南方元次の代に毛利興元に仕え、山県郡南方を領して南方氏と称した。
元次の子の南方就正は、大内氏滅亡後、周防 右田ヶ岳城の城代となり、
織田氏の中国侵攻の際には、備中 忍山城を守るなど、毛利氏の家臣として活躍した。

横堀が珍しい。
横堀の一部が深い堀切になっており、見応えあり!
街道側は何故か禿げており、山城(丘城)らしい雰囲気を醸し出してます。

場所は、
千代田ICから県道5号線を東進、900mで壬生バイパス中交差点を右折、
県道69号線を南下4.3km、右手の禿山の丘陵地の左端に写真1枚目の横堀(堀切)が見える。

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 参考資料: 広島県中世城館遺跡総合調査報告書