siro  高知城(こうちじょう)、比高40m
場所高知県高知市丸ノ内1丁目 現存天守の雄姿
現存天守の雄姿
訪問日2011年4月24日(日)
備考現存十二天守が一つ
山内一豊が築城、主城とした城

郭図の表示



御台所屋敷跡(西側)から本丸へ...
御台所屋敷跡
御台所屋敷跡、上下段の間の石垣跡。
御台所屋敷跡
その石積みや排水溝の説明。
御台所屋敷跡
石垣は、下部は当時のまま、上部は復元です。
御台所屋敷跡
下の段西端の土塁。
御台所屋敷跡
上の段。
奥に天守閣、黒鉄門が見えます。
御台所屋敷跡
そこの説明板。
石垣
御台所屋敷跡から二ノ丸に向かう通路の左下、
何気に大きく立派な石垣があります。
石垣
獅子の段から二ノ丸の石垣。
右奥は詰門。
二ノ丸
二ノ丸。
中央奥に天守閣。
二ノ丸
別角度から...
二ノ丸
二ノ丸の説明板。
二ノ丸
「高知城懐徳館入口」とある。
橋廊下と呼ばれ、詰門の上部にあたります。
本丸
その中。
本丸
そして出口、廊下門。
本丸
振り向くと天守閣と本丸御殿。
ここはもう本丸です。
本丸
本丸、天守閣の説明板。
本丸
控え柱と鉄砲狭間。
控え柱の間に板を渡し、
その上から鉄砲を撃ったとも...
黒鉄門
本丸裏門にあたる黒鉄門。
非常時用の門で、各所に鉄板が打ち付けられ、
黒く塗られた事からこう呼ばれた。
本丸御殿
いつの時代の写真でしょうか...
本丸御殿
本丸御殿の中。

奥は上段ノ間(藩主の御座所)です。
向かって左手には納戸(武者隠し)が有り、
裏から回って見学出来ます。
本丸御殿
十五代藩主 山内豊信(容堂) 詩書「夕暮曲」。
(複製)
天守閣
城と城下町の模型。
少しデフォルメされてます。
天守閣
本丸、二ノ丸、三ノ丸周辺の模型。
天守閣
少し範囲を広げて、内堀内の模型。
天守閣
鯱瓦。
天守閣
天守最上階。
天守閣
三ノ丸方面の展望。
天守閣
二ノ丸方面の展望。

二ノ丸から橋廊下(詰門)を渡り、
廊下門を潜って本丸に至る経路が確認出来ます。
天守閣
本丸、黒鉄門、本丸御殿の屋根々々。
追手門(東側)から三ノ丸へ...
追手門
追手門。
高知城の大手になります。
追手門
その案内板。
内堀
追手門近くの内堀。

外堀は、
北に江ノ口川、久万川、
東に堀川、国分川、
南に鏡川を
天然の堀としていたのではないでしょうか。
山内一豊像
山内一豊像。
石樋
石樋。
石樋
その案内板。
三ノ丸石垣跡
杉ノ段より三ノ丸石垣跡。
三ノ丸石垣跡
その案内板。
三ノ丸石垣跡
別角度から...

野面積みですが、
角の部分は加工されている様です。
鉄門跡
鉄門跡。

この門を潜ると、左に枡形になっており、
正面と右上は三ノ丸になってます。

ここまで攻め上がると、渡門上と三ノ丸の三方から
攻撃を受ける仕組みになっています。
詰門
詰門。

鉄門を過ぎると、正面にこの門があり、
本丸へのダミーと考えられます。

実際は、門手前で右折して、
二ノ丸経由でないと本丸には行けません。
高知城跡
詰門前(東側)から天守閣を仰ぐ。
高知城跡
近付くと石落しや忍び返しが確認出来ます。
三ノ丸
三ノ丸。

このすぐ上から二ノ丸、本丸へと続く...
三ノ丸
その案内板。
石垣
鐘撞堂(本丸から南)下の石垣。
(まとめ・総評)
関ヶ原合戦後、山内一豊がこの地に入り、築城した城。
南北朝時代や長宗我部時代にもこの地に城は存在したが、現在の高知城築城は山内一豊による。

当初浦戸城に入った一豊は、高知城築城を開始、2年後に本丸、二の丸が完成し、移転、
更に8年ほどを掛けて三の丸を含むほぼ全域が完成した。
その116年後、火災により追手門以外のほとんどを消失、2年後から25年かけて全城郭を再構築した。
(現存する遺構はこの時のものです。)

明治4年の廃藩置県後、明治6年に本丸の建物と追手門以外全て取り壊され、
明治7年に公園化、一般公開された。
昭和9年、国宝に指定。

土佐の地は雨が多く、高知城は排水の機能が多く目立つ。
杉ノ段に登る途中に見られる石樋、御台所屋敷跡に残る排水溝跡、
排水性の良い野面積みの石垣などなど...

back  comment


 
 参考資料:高知城公式サイト