siro  茶臼山城跡(茶臼城跡)(ちゃうすやまじょう)、比高40m
場所広島県世羅郡世羅町下津田
訪問日2008年5月17日(土)
備考南北朝時代にこの地を支配していた山内首藤の城
地形図の表示


丘陵地南東側の車道から山頂に向けて山道が伸びる。
山道を行くと、すぐ最初の郭が見えてくる。
山道で潰れているが、
奥の急坂手前が堀切状になっている。
上記急坂手前右の郭。
左端に堀切が見える。
急坂上の郭(主郭の南東側)。
奥の高台は主郭。
この郭が主郭を取り巻く様に帯郭となっている。

奥の社は、町天然記念物「茶臼神社社叢」。
主郭。
主郭南東端の土塁。
帯郭北東側。
藪だらけでこれ以上踏み込めない。
南西側も藪だらけで全然踏み込めない。
茶臼山城全景。(北西側より)

全景写真を撮り忘れたので、
冊子「世羅町の文化財」から抜粋。
(まとめ・総評)
南北朝時代にこの地を支配していた山内首藤の城。
主に、山頂の主郭とそれを取り巻く帯郭で形成されている。

三和町で、国道375号線から県道56号線に入り東進する。
5分ほどで右側(南側)がひらけ、少し先(500~600m)の右手に上記全景写真の丘陵地が見える。
(県道56号線からは、直線距離で600~700m)

北西側からは40mの比高だが、南東側に廻れば殆ど高低差無く、最初の郭(帯郭)に着ける。
帯郭南東側と主郭以外は藪に覆われ、この時期は踏み込めない。

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 参考資料: 世羅町の文化財(世羅町教育委員会・世羅町文化財保護委員会)、 日本城郭大系(第13巻)広島・岡山