siro  高橋城跡(生田城跡)(たかはしじょう(いけだじょう))、比高55m
場所広島県安芸高田市美土里町生田
訪問日2008年4月20日(日)
備考毛利元就の兄興元の妻女(高橋氏)の里
地形図の表示


県道6号線を北上中に高橋城跡の看板が...
バックが高橋城跡です。
そのアップ!
ここから車道を東に登って行きます。
E郭。
この藪に踏み込んで、足元を見ると、マムシが!
もう藪に平気で踏み込める季節は終わりました。
登りきって最初の郭から主郭を見上げる。
主郭。
主郭から北西方向の展望。
石見方面に抜ける街道です。
A郭。
B郭。
B郭下辺りの石垣跡。
これも...
C郭。
C郭西を南へ下る竪堀。
神社のある郭。
祭りの準備でもしているのでしょうか?
D郭。
D郭先の堀切に降りD郭を見上げる。
D郭下の堀切西辺りにある竪堀?かな?
写真を撮った時の記憶が定かでありません。
更に奥の堀切。
堀切の奥は高さ5m程の斜面になっています。
D郭下の堀切を東へ下る。
見え難いが上記堀切に向けて下る左右2本の堀。
左が竪堀状。右が更に堀切状になっている。
高橋城跡(生田城跡)全景。(北西側より)
(まとめ・総評)
高橋一族生田氏の居城。
後、高橋久光の次男弘厚→弘厚の子忠光毛と拠って、利氏に対抗していたそうです。
生田氏は高橋氏滅亡後も残るが、後、毛利氏に攻められ、毛利氏家臣に組み込まれる。

「毛利元就兄、興元の正室 雪の方実家」とあり、興元の正室は高橋久光の娘であるが、
高橋久光が本城に拠った事実は付きとめられませんでした。
弘厚の前はやはり久光が拠っていたのでしょうか?

吉田町方面から県道6号線を北上、高田インター西交差点を過ぎて更に進むと、途中で国道433号線に入ります。
すぐにまた県道6号線に戻り500mくらいで、右手に1枚目の写真の場所が見えます。
そこを車で登って行くと途中から左に道がそれてダートになります。
これを更に車で登って行けば神社のある郭にでます。
(私たちはダート道分岐付近の路肩に駐車し、そこから歩いて登りました。)

城跡には神社や小屋、地蔵(巡礼用?)があり、ある程度整備されています。
主だった郭以外は藪だらけですが...

今回もいつものメンバー、Fさんと三原のMさんと3人でした。

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 参考資料:日本城郭大系(第13巻)広島・岡山