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槌山城跡(つちやまじょう)、比高218m |
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![]() | 豊穣池そばの登山口横にある案内板。 |
![]() | 案内板その2。 |
![]() | 山頂までの半分登った所で分岐。 鬼ヶ丸城跡は今回はパス。 |
![]() | 中央で岩肌が見えるのが鬼ヶ丸城跡。 |
![]() | 山頂案内板。 |
![]() | 山頂主郭。 |
![]() | 主郭群山頂西側。 |
![]() | 北東郭群西側。 |
![]() | 北東郭群東端。 |
![]() | 北東郭群東端北の郭。 東郭群は今回はパスして引き返す。 |
![]() | 西郭群東側。 |
![]() | 西郭群にある土塁。 |
![]() | 西郭群西端辺り。 |
![]() | 西郭群東端を南下の帯郭から見上げる。 |
![]() | 西郭群東端にある窪地。 井戸跡? |
![]() | 主郭群南西下の郭。 |
![]() | そこから主郭群山頂西側を見上げると、 石垣跡が残っている。 |
![]() | 更に南西下の郭。 |
![]() | 上記郭から南にある広い郭。 藪が多く全体は見渡せない。 |
![]() | 上記2つの郭の中間辺りから西の展望。 |
![]() | 主郭群南西端から更に西の郭の西端。 |
![]() | 下山中、山頂を仰ぎ見る。 |
(まとめ・総評) 尼子氏傘下時代の毛利元就(当主は兄興元の子)によって落とされた鏡山城に変わり、 東西条の拠点となった大内氏の城。(その後、毛利氏は大内氏の傘下へ...) 陶晴賢反乱により大内義隆没後、義隆派が篭る当城を陶晴賢の命で毛利軍が落とす。 大将毛利隆元の先駆け無用の命に背いた吉川軍をかばった元春と隆元の確執?の逸話もある。 厳島合戦後、小早川の手を経て毛利氏に移管される。 JR八本松駅から県道67号→県道335号と行く。道祖園自動車学校への入口を過ぎて次を右折。 正面に槌山が見えてくるので、とにかく南麓を目指して西へ進む。 やがて南麓沿いの豊穣池に着く。ここが登山口に当たる。 車は付近の路肩や広場(公園?)等どこにでも停めれる。 全体的にあまり整備されておらず、主郭群と北東郭群の主だった所以外は藪だらけで、 道を選ばないとなかなか進めない様な状況でした。(夏はもっと藪がひどいかも...) ただ、全体は広く、見応えは充分あります。 次回、登る事があれば、東郭群(山頂からの比高約60m)まで足を延ばしてみたいです。 |
参考資料:なし |