siro  矢野城跡(やのじょう)、比高272m
場所広島市安芸区矢野
訪問日2007年6月4日(月)
備考厳島合戦前に毛利氏に落とされ滅びた野間氏の城
全体地形図の表示
県史跡郭群の地形図
野間神社郭群の地形図
発喜山山頂郭群の地形図


登り始めてすぐ、土塁の道。
盛り上げたのでは無く、掘り下げた感じ...
山道脇の小丘陵。
物見か防衛のものかも?...
尾根の左に竪堀跡?
右には何も無いので堀切では無い。
また土塁の道。
これも竪堀跡?
「お馬屋敷跡」
何でしょうか?...
県史跡郭群の主郭に到着。
そこにある案内板。
その先にある削平地。郭跡?
更に先にある堀切。
山道脇に少し広い部分。
ここも削平地かな?...
右に丘陵地。
その上。
木間から広島港(海田)方面が見える。
また右に丘陵地。
その最上部付近。
ここら辺りの丘陵地は皆郭跡なのでしょうか。
空堀を見上げる。
多分尾根まで伸びている堀切。
振り返って、竪堀。
岩を削った通路。
この道幅の狭さは一種の防御施設か?...
野間神社郭群手前で...
急登+道の狭さ+左の高い岩は、
門と防御施設を兼ねたものか?...
野間神社郭群、主郭の北下にある郭。
そこにある岩。
祠跡?
同郭から広島港(海田)方面を望む。
そこの西下にある郭。
野間神社郭群、主郭。
「野間神社の由緒」
発喜城主野間氏うんぬんかんぬんと書いてある。
矢野城は、保木(発喜、ほき)城とも呼ばれていた。
同郭から日浦山呉娑々宇山(北側)方面を望む。
野間神社の裏の大岩に登り、
黄金山(仁保城跡)方面を望む。

この岩場も郭跡のはずだが、
岩ばかりで削平地とは言えない。
物見台でもあったのでしょう。
振り返って、発喜山山頂方面を望む。
左の鉄塔は絵下山山頂。

絵下山山頂も城跡の一部と考えられている。
そのすぐ南に小郭。
藪だらけ。
その先に堀切。
これも岩を削った防御施設かな...
発喜山山頂郭群、主郭。
この郭群はとにかく藪だらけ。
主郭北下の郭。
この突端が山道の分かれ道になっている。
主郭西下の郭。
主郭南下の郭。
主郭と南下郭の間は堀切状になっている。
(主郭側から見下ろす。)
その先に堀切かな?
更に先、この辺りに堀切のはずだが、
この両サイドに竪堀らしき跡が見えただけ。

ここから絵下山鉄塔まで15分くらいだが、
今回の目的は果たしたので、ここで引き返す。
(まとめ・総評)
三入荘の熊谷氏が築城、後、尾張国野間荘から野間氏が入城。
大内氏に就き勢力拡大を図った野間氏だが、厳島合戦前に毛利氏に城を落とされ滅びる事になる。

東の谷から北に流れ、海田方面とを分断する矢野川、
南方は海抜593mの絵下山(矢野城の一部と考えられる。海側の展望良。)、
北西の明神山(絵下山山系)の尾根下には茶臼山城(野間氏?)、
発喜山山頂から350m西にある明神山山頂にある明神山城(資料なし)、
西の海岸沿いにある遠見の城、と守りは万全のはずであるが...

今回のコースが大手道で、茶臼山城→明神山のコースが搦め手道です。

国道2号線方面から国道31号線を南下、熊野別れ交差点から県道34号線に入り熊野方面へ行く。
約2.3kmで天神交差点(T字路、右折で矢野南の団地へ)、直進100m弱で天神バス停、更に100mでT字路を右折。
(T字路の右奥に何かの看板(案内板)があったが詳しくは見てません。)
急坂を道なりに登ると100m弱で道が右に折れます。ここ(直進)が登山口です。
右に折れる左の角に車1台くらい停めれるスペースがあります。

県指定郭群は主郭意外はよく分かりません。(ある程度見当を付けて写真を撮っています。)
野間神社郭群は割とはっきりしています。神社裏の岩場で、西の大岩が展望が最高ですが、
藪を掻き分け、岩をよじ登って下さい。しかも、その先は断崖絶壁なので気を付けて下さい。
発喜山山頂郭群は郭跡は割とはっきりしていますが、藪だらけです。
絵下山山頂は今回はパスでしたが、その内登山日記の方で海側から登りたいと思います。

(各標高)
矢野東登山口 :100m
県指定郭群  :272m
野間神社郭群 :415m
発喜山山頂郭群:476m
絵下山山頂  :593m

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 参考資料:なし