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東郭跡。
左端に見えるのは桂原天神(しょうの天神)跡。
東郭跡下の段は藪で外縁くらいしか確認出来ず。
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北郭跡上の段。
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北郭跡下の段。
奥の方は藪になっていて未確認。
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東郭跡に戻って、本丸跡を見上げる。
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山頂に着いて左手に二の丸跡。
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同じく、右手に本丸跡。
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同じく、正面に空掘り跡。
当時はもっと深く、
二の丸と本丸を寸断していたのでしょう。
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本丸跡にある案内板。
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その横にもう1枚...
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本丸の1段高くなっている部分。
物見櫓でも立っていたのでしょうか。
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本丸から立石城跡(建岩城跡)を望む。
古城跡(岩原城跡)は、木が茂っていて、
木間から僅かに見えるだけ...
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本丸から降りて南郭跡へ向かう途中、縦堀(竪堀)跡。
石柱はあるが、実際にそれらしいものは
確認出来なかった。
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南郭跡。
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西郭跡。
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己斐城(平原城)跡全景。(古城跡本丸より)
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(まとめ・総評)
元は、平原城(己斐城)と己斐本城(古城、岩原城)を総称して己斐城と呼んでいた。
後に、己斐本城が廃れ、古城(岩原城)と呼ばれ、平原城が己斐城と呼ばれるようになった。
堅固な城で、武田元繁の数ヶ月による包囲でも落ちなかったと有名である。
その2年後、城主の己斐豊後守師道入道宗端は、有田合戦で武田元繁側に着き、
初陣の毛利元就の軍と戦って戦死した。
宗端は古城の城主直之の父である。
己斐城跡はJR西広島駅の北1.1km(直線距離)の茶臼山山頂にある。
己斐東小学校西側の石段をひたすら登る。約5分で山道となり、更に5分で己斐城跡に到着する。
本丸、二の丸を高所に、切り立った崖下の東西南北に郭を配している。
木が茂ってなければ武田元繁の銀山城跡から市内全般、海側まで見渡せる。
古城に続き、ここにも駐車場は無い。近所に駐車スペースも無い。
しかたがないので、近所に「売り地」と書かれた4~5m四方の空き地に無断で駐車させてもらいました。
m(_ _)m
川(海)沿いからの比高200m、上り口の石段からの比高80m。
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