siro  祝屋城跡(岩屋城跡)(いわやじょう)、比高約90m
場所広島県安芸高田市甲田町深瀬
訪問日2006年12月16日(土)
備考郡山合戦の前哨戦で尼子軍を撃退した城
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登山口横にある案内板。
登山口付近。
中央近くに見える墓の右を急登するより、
墓の手前を左折して階段を登る方がいいでしょう。
※)添付の登山道図参照
途中、石塁跡。
D郭(郭図参照)の土塁を見上げる。
その足元には石が散乱。
石垣でもあったのでしょうか。
B郭。
C郭。
A郭。
奥に土塁がみえる。

ここが多分本丸ではないでしょうか?...
D郭。
D郭の土塁。
D郭近くの竪堀を見下ろす。
E郭。
F郭。
F郭に井戸跡らしきものが...
F郭に一段高い郭が...
G郭奥の堀切。
中央に通路がある。
下山して、東麓から見上げる。
上記麓に見えるシルバーの(私の)車の
20m右くらいから竪堀らしきものを見上げる。
祝屋城(岩屋城)跡全景。(東側より)
祝屋城(岩屋城)跡全景。(南側より)
犬飼平古戦場。(祝屋城(岩屋城)跡麓より)
この山上から尼子軍を攻撃した。
犬飼平古戦場。(逆方向より)
左奥は祝屋城(岩屋城)跡。
(おまけ)
犬飼平古戦場(国道54号線)を少し奥へ...
利屋城跡の石碑発見。(添付地図参照)
この北西に城跡かな?...
帰りに次回予定の長見山城跡の確認に寄る。
(安芸高田市甲田町小原)
石碑発見。
この付近には登山口は無いようだ。
長見山を一周してみたが、
登山口は見つからなかったので、諦める事にする。

とりあえず、長見山遠景。
(まとめ・総評)
五龍城主宍戸元家が五龍城を嫡子元源に譲り、深瀬に祝屋城(岩屋城)を築城し、そこに隠居した。
以後深瀬氏を名乗って宍戸氏の分家となるが、元家次男の深瀬隆兼が城主時代、
尼子の第一次毛利征伐遠征(郡山合戦は第二次)があり、尼子軍(新宮党)は五龍城を攻めようとしたが、
祝屋城(岩屋城)の深瀬隆兼に犬飼平古戦場で撃退された。
その戦勝を祝い、大内義隆の勧めで「岩屋城」から「祝屋城」に改名した。
関が原敗戦後、深瀬氏は毛利氏長門移封に従い、その際廃城となる。
※)宍戸元源:五龍城主時代に毛利元就と同盟。その際、元就娘と元源の孫隆家が婚姻。

国道54号線を北上、吉田町を過ぎ、甲田町のトンネルを潜って5kmちょっと、
右に車の離合も難しそうな橋があり、そのすぐ先を左折し(※1)、直後にまた左折します。
200m弱で右に祝屋城跡の案内板があり、その前に空き地がありますが、
私有地なのか駐車場なのか分からないので、添付地図の駐車スペースの所に駐車しました。
三次方面から来る場合は、国道54号線を南下、三次市と安芸高田市の境から600m弱で右折します。(※1の場所)

獣避け?の網が張ってあるが、案内板の横の裂け目から入り、登り始めます。
まず階段の道の方をお勧めです。(添付登山道図参照)
AルートとBルートがあります。どっちもどっちですが、Bルートの方がいいかもしれません。
私は登山口が分からなく、散々迷ったあげくAルートを見つけ登りました。
下山はBルートを見つけたのでこれを使ってみました。
D郭に登る道が無いようだったので、苦労してよじ登りました。
E~G郭は容易に行けます。
堀切より先は少し行ってみましたが、多分何も無いと思われます。

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 参考資料:なし