siro  日下津城跡(ひげつじょう)、比高約100m
場所広島県安芸高田市向原町坂
訪問日2006年12月4日(月)
備考相生四郎元綱を推し、元就に攻め落とされた坂氏の城
郭図の表示
↑郭図も磁石もなしだったので方向が間違ってます。(2008.12.28)


登山口にある案内板。
西側ルートを通って最初の郭に到着。
右の高所は物見の段。
右下にある郭。
その奥には土塁が...
物見の段。
本丸方面を見上げる。
手前に石垣跡が...
上まで登って更に見上げる。
また登って更に見上げる。
やっと本丸に到着。
本丸西下にある帯郭。
少し東に進むと井戸跡。
お椀状の窪みがあるだけ...
この付近にも登山(下山)道がある。
井戸跡より東側にいくつか竪堀らしき跡が...
本丸東下にある帯郭。
その先に土塁状の道?が...
中央辺りに左右の郭を繋ぐ通路らしきものが...
日下津城全景。(北側より)
帰りに尼子三兄弟のゆかりの墓に寄ってみる。
意外に山奥にある。
(向原町下長田)
「尼子氏三兄弟之墓」と書いてあるが、
実際は従者の墓の様...
その説明板。

尼子三兄弟はこの地(円明寺)に幽閉され、
23年後許され、白木町志路に移り、
関が原敗戦後毛利氏と伴に長門に移り、
そこで没し、墓もそちらにある。
幽閉地円明寺跡にある窪みと石垣跡。
多分井戸跡では...

円明寺跡全景写真は、
カメラの不調で失敗して、ありません。
更に奥へ登ってみると石垣が...
館跡かなにかでしょうか?
ここにも...
(まとめ・総評)
毛利氏の分家坂氏の城。
毛利氏が尼子に就いていた頃、尼子の強引な要求により毛利氏により落城。
更に2年後、相生四郎元綱(異母弟)を推した坂広秀の為、元就に攻め落とされた。

カタクリの里方面から県道29号線南の山裾を平行して走る道を東進。
隠地の辺りで右側に案内板がある。(県道29号で言うと中組バス停辺り)
駐車場はありません。

案内板の横から登り始めると"墓①"(地図参照)の所に「←日下津城」とあり、左上に登る。
私は"墓②"(地図参照)の前を通過し登ったが、道とは言い切れぬ道をよじ登り、
やっと正規の登山道(西ルート)に合流しました。お勧め出来ません。
"墓②"の手前を左折して行くのが正規のルートです。(左折直後は少し荒れています。)
その後、西ルート、東ルートとありますが、東ルートは急登と思われます。

(余談)
「尼子三兄弟ゆかりの墓」に行く途中、車に異音を感じたが、そのまま駐車、入山。
下山後、パンクに気付く。
予備タイヤに付け換えようとしたが、レンチが無いのに気付く。
仕方が無いので「2006/10/12 松尾城跡」の回で入会したJAFを呼ぶ事に...
不運続きです。(T_T)

back  comment


 
 参考資料: H・L・C「広島近郊の山城と史跡」