siro  大坂城(大阪城)(おおさかじょう) 平城
場所大阪市中央区大阪城1-1 庭園の向こうに天守閣
庭園の向こうに天守閣
訪問日2002年5月31日(金)
備考 秀吉築城の城で、大坂の陣の舞台、徳川(秀忠)時代に大改修

現在地図
豊臣時代、 徳川時代、


16年前に訪問した大坂城。
当時はまだ城跡にもさほど興味もなく、もちろん当サイトも開設してなかった。

以前から過去分のアップも考えていたが、
当時の写真をを元に、色々調べながら、今更ながら執筆してみた。(2018.2.2)

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この日は、仕事で大阪に行き、外堀の南側にあるNTTの建物で打ち合わせがあった。
打ち合わせが終わって16時、天守閣の開館時間には間に合わないが、とりあえず行ってみる事に...

南外堀
南外堀。

左に見えるは、六番櫓(現存)。
重要文化財です。
案内図
大手門の外にある案内図。
そして大手門をくぐるが、写真は無い。(^^;)
大手門も現存する遺構で、重要文化財に指定されてます。

大手口枡形の巨石
大手門をくぐって正面に、
大手口枡形の巨石。

写真の巨石は、
ここの枡形では最大の「大手見付石」だが、
城内全体では第4位。
大門(多聞櫓)
大門(多聞櫓)。
これも現存する遺構で、重要文化財。

大手門と大門の間は枡形になっています。
石山本願寺推定地
上記から桜門に向かう途中、
石山本願寺推定地。

秀吉によって大坂城が建てられる以前、
この地にあったとか...

大坂城の辺りにあったのかも、と推定されるが、
大坂冬の陣や夏の陣、徳川による大改修等で、
石山本願寺の痕跡は分らなくなったとされる。
桜門
桜門。

大阪城本丸の正門に当る。
明治の再建だが、重要文化財となっている。

秀吉時代、この近くに見事な桜並木が
あった事が名前の由来とか...
蛸石
桜門を入ると正面に蛸石(たこいし)。

こちらが城内第1位。
重量は推定130トンだとか...
大阪城
本丸広場(南側)より、天守を仰ぐ。
大阪城
ズーム!
大阪城
日本庭園なめの天守閣。

この庭園は、
維新後、紀州徳川家の御殿を
移築した際の名残だとか...
大阪城
天守を直下から見上げる。
大阪城
こちらは南西隅から...
極楽橋
本丸北側の極楽橋を渡って振り返る。
青屋門
上記から東に移動して、青屋門。

当時、ここの焔硝蔵に落雷、大爆発が起き、
青屋門の扉が城から約14km離れた場所で
確認されたとの記録がある。
別名、錦城、金城とも...

1583年(天正11年)~1598年(慶長3年)、秀吉による築城。
1620年(元和6年)~1629年(寛永6年)、大坂夏の陣で落城、豊臣氏滅後、徳川秀忠により大改修。

1665年(寛文5年)、落雷により天守を焼失、以後は天守を持たない城となる。

1868年(慶応3年)、王政復古の大号令後、二条城から前将軍徳川慶喜が大坂城に移る。
1868年(慶応4年)、鳥羽伏見の戦いの敗北で、慶喜は江戸へ、大坂城は新政府軍に。

1931年(昭和6年)、天守を復興。
2006年(平成18年)、日本100名城に選定。


(豊臣時代)
普請奉行に黒田孝高。
安土城を踏襲した、ふんだんに使われた石垣、権力の象徴とした豪華な天守閣など、
秀吉はここを天下統一の拠点としたかった様。
大坂冬の陣のおり、南方の防御の惰弱性を補う為に、真田丸が構築された。

(徳川時代)
普請奉行に藤堂高虎。
豊臣時代の石垣や堀を破却、盛り土をし、その上に新たに石垣、城郭等を築いた。
建物の構造なども踏襲されず、豊臣時代の大坂城とは別物と言っていいほどとなった。
諸藩には普請を課し、財政負担させる事により、軍事力低下を狙ったと言われる。





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 参考資料:大阪城パークセンター